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浦和地方裁判所 昭和54年(行ウ)5号 決定

申立人 榎本幸司

被申立人 西川口税務署長

主文

本件申立を却下する。

理由

第一原告の申立及び被告の意見

本件申立の趣旨は別紙文書提出命令申立書に記載のとおりであり、これに対する被告の意見は、別紙意見書に記載のとおりである。

第二当裁判所の判断

一  別紙文書提出命令申立書記載一「文書の表示」欄2の文書(編注・被告提出の同業者調査表(乙四号証二、四、六)にアルフアベツトで表示されている納税者の各所得税青色申告決算書)(以下「本件2の文書」という。)について

原告は、本件申立において、本件2の文書の所持人を訴外川口税務署長であるとし、被告に対し民事訴訟法三一二条一号により、右文書の提出を求めている。しかし、同条同号の規定は、訴訟の当事者がみずから文書を所持する場合の文書提出義務を定めたものであるから、右文書を所持していない被告が同条同号による文書提出義務を負わないことは明らかである。

二  別紙文書提出命令申立書記載一「文書の表示」欄1の文書(編注・被告提出の同業者調査表(乙三号証二、四、六)にアルフアベツトで表示されている納税者の各所得税青色申告決算書)(以下「本件1の文書」という。)について

1  一件記録によれば、被告は、原告の昭和四四年ないし同四六年分の所得税につき更正処分をするに際し、原告の営む牛乳販売業の所得金額を実額で把握しえないとして、原告の店舗の存する西川口税務署管内及び隣接する川口税務署管内において青色申告をしている同業者を抽出し、右同業者の当該年分の平均差益率、平均算出所得率等を計算し、その数値に基づいた推計によつて原告の所得金額を算出したこと、被告は、本訴において右平均差益率、平均算出所得率等の合理性を立証するための証拠方法の一つとして、西川口税務署所得税資産税第一部門の調査官であつた宮田照三作成の同業者調査表を乙第三号証の二、四、六として提出したこと、右調査表には、前記同業者の氏名を秘し、同人らを表わすものとして昭和四四年分についてAないしD、同四五、四六年分についてAないしJの符号を付したうえ、同人らの所得税青色申告決算書からそれぞれの売上金額、売上原価、一般経費、算出所得金額等の数値を移記したものが記載されていること、被告は本件1の文書を所持していることが認められる。

2  本件1の文書が民事訴訟法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル」文書にあたるか否かについて検討する。

同法三一二条一号が文書提出義務を当事者の一方に課した趣旨は、当該文書を所持する当事者が、裁判所に対し、その文書自体を提出することなく、その存在及び内容を積極的に申し立てることにより、自己の主張が真実であるとの心証を一方的に形成させる危険をさけ、当事者間の公平をはかつて、その文書を開示し相手方の批判にさらすべきであるというにあり、また、その文書の存在及び内容を訴訟手続において明らかにした当事者は、その文書の秘密保持の利益を放棄したとみなされることも、右の義務を当事者に課することを妨げないとする一根拠となるものと解する。右の趣旨に徴してみれば、「訴訟ニ於テ引用シタル」文書とは、その存在及び内容が、訴訟手続中において当事者により何らかの方法によつて明らかにされた文書をいうと解すべきであつて、その明らかにする方法が証拠として引用された場合にかぎられるべきであるとする合理的な理由は見出しがたい。前項に認定した事実関係のもとでは、本件1の文書は被告が本訴において証拠として引用した文書ではないが、その存在及び記載内容中の重要部分が被告の提出した前記乙号各証によつて明らかにされているから、右文書は、民事訴訟法三一二条一号所定の文書にあたるというべきである。

3  そこで、本件1の文書を開示することによる被告の守秘義務違反の有無及び被告の右文書の提出義務免除の許否について判断する。

本件1の文書は、被告が抽出した納税者の青色申告決算書であるところ、一般に、私人の所得金額、資産負債の内容等は、他人に知られることを欲しない個人の秘密に属するというべきであるから、税務署長が所得税の調査に関し職務上知りえた右のような事項は、当該税務署長については国家公務員法一〇〇条一項所定の「職務上知ることのできた秘密」及び所得税法二四三条所定の「その事務に関して知ることのできた秘密」にあたると解するのが相当である。したがつて、青色申告決算書に記載された各納税者の所得金額、資産負債の内容等については、当該税務署長は、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によつて守秘義務を負うものと解すべきである。そして、税務署長が訴訟当事者として、たまたまこのような文書を訴訟において引用したからといつて、各納税者が秘密保持の利益を放棄したものとみなされるいわれはないから、当該税務署長は、依然として当該文書に記載された各納税者の所得金額、資産負債の内容等について守秘義務を負つているというべきである。このように、訴訟当事者が国家公務員法、所得税法によつて第三者の秘密保持のために、ある文書に記載された事項につき守秘義務を負う場合には、当該第三者が右文書の提出に同意しているとか、或いは、訴訟当事者が、その文書の内容のすべてについて、例えば、右第三者たる納税者の住所氏名、営業内容、所得金額等のすべてについて逐一詳細に当該訴訟において申し立てているなど第三者が既に秘密保持の利益を放棄もしくは喪失していると見られる特段の事情のないかぎり、当事者は右文書につき民事訴訟法三一二条一号による提出義務を免れると解すべきである。けだし、訴訟当事者の立証上の便益のため、法によつて保護されている第三者の利益が犠牲にされなければならないいわれはないからである。なお、このように当事者が訴訟において引用した文書につき提出義務を免れるときには、相手方の反証にある程度支障をきたす場合の生じることもありえようが、そのような場合でもことは当該文書の証明力の問題として考慮されれば足りるし、殊に、本件において被告が本件1の文書をもととして立証しようとするものは帰するところ原告の所得金額であり、これに対し原告が反証を挙げることは容易な筈であるから、前記のように解しても、原告にとつて立証上著しく不利益となることはない。

以上のとおりであるから、特段の事情あるものとは認められない本件においては、前記1認定の事実関係のもとでは、被告は本件1の文書について民事訴訟法三一二条一号による文書提出義務を免れると解すべきである。

三  よつて、原告の本件申立は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 宇野栄一郎 萩原孟 山田知司)

文書提出命令申立書、意見書 <略>

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